老け顔とネットの海

オタクのありのままを貴方に

オタクでさえなくなった私へ

 おひさしぶりです。約二か月ぶりに姿を現した私ですが特に病気であったりしたわけではありません。ものぐさな私に打ち勝てずついぞここまで時がたってしまいました。ブログという媒体に手を出しては更新が途絶える筆者が多く、私も多分に漏れずというわけです。誰も見ていないブログですし言い訳をする必要があるかといえばないのですが。

 

 久しぶりの更新に何を題材として書こうかと考えたのですがブログの副題にある通り、「オタクのありのままの姿を」というように私の属性の一つにオタクというものがあります。しかしそれの消滅が危ぶまれているので現在の私は何を名乗ればよいのかと考えていきたいです。

 

 そもそも私が今まで見てきたアニメの総本数は非常に少なく、放送されているアニメをあまり見ず(一クールに多くて10作品)少し古い有名作品か名作作品を見ていました。それに加えてアニメを見るモチベーションが高まった時にまとめてみることが多かったので少なくなったと思います。こういう見方をしている問題点というのは名作の見過ぎによるアニメ審美眼の下手な向上です。下手に名作ばかり見ていると放送されているアニメと比べてしまい、すぐに粗を見つけつまらないと評価を下してしまいます。これはアニメだけではないと思いますが。こういう経緯でアニメが面白く感じる確率が減少し、見ることも少なくなっていきました。

 そこで私が手を出しているのは読書です。アニメにはまる前までは少しは読んでいたのですが高校、大学とアニメに結構浸ってきたので距離をとっていました。読書というのはアニメやゲーム、Youtube視聴に比べて娯楽として必要なエネルギーが多く必要になると感じます。視覚、聴覚をつかって感じられるものではなくある程度作中で起こっている出来事を想像しなければなりません。また、風景や感情を見たままに受け取れず描写を読み取らなければならないので少し手間になります。前者のような比較的手ごろな娯楽の登場で若者の読書離れが進んでいくのは仕方がないことなのだと思います。頭ごなしに若者は本を読まなくなったからバカと否定するのは背景を理解できていないとさえ思います。では私が読書をするようになったのはなぜなのかというとそれは書物の多さからです。読書の歴史というのはアニメ、映画の歴史と比べてはるかに長くその分一生かかって全書籍の1%だって読めやしないと思います。そんな大量の過去を娯楽としたら単純に飽きることはないのではないかと考えたのです。お金もかからないですしね。

 さて、アニメから読書にシフトした私ですが趣味を読書とするとどんな作品を見るのかと問われると思います。一般的に読まれることが多い東野圭吾有川浩等の作品を一切読んでいないのでコミュニケーションの手段として使うのが難しいです。かといって読書を始めたばかりなので読書屋さんとして話すのも抵抗があります。私の好きな作者はショーペンハウアー坂口安吾綾辻行人なのでなおさら中途半端です。この微妙にものを知っているというのが私の長所であり短所だと思うのですが走り出したからには少しずつでも知識を増やしていきたいです。

 

 最終的に私は自分でものを作り出したいと思っています。ですから今は勉強期間ということで雑に収めたいです。一応学生ですのである程度研究もしなければなりませんし、社会人になってから本を読んでいる私を土台として創作ができたらなと思っております。

 

 最後の方によくわからなくなっておわるのが本ブログの特徴です。ご拝読ありがとうございました。