老け顔とネットの海

オタクのありのままを貴方に

利他行為を美徳とする世界で

 お久しぶりです。少し間が開いてしまいましたね。本を読む時間を多くとっていたら書く時間を逃していました。文化人ですね。

 

 今回は人の役、世間の役に立つということを教育されてきたことで苦しむ人に対して考えることを書いていきたいと思います。

 

 社会で問題を起こさないように集団生活を送る。これが社会性を身に着けた大人の振舞であり、利他的な行動をすることでスムーズに溶け込めるようになります。私のような幼稚園に通っていた時から人の役に立ちたいと一度も思ったことがない人間はあまりいないのではないでしょうか。最初に断っておくのですが私が正しいという主張をするつもりはありません。ご了承ください。

 利他行為を美徳とするあまりにしばしば自分は自己中なのではないかと思い悩む人がいます。自分の事しか考えていない、相手の気持ちを思い図れなかった。そんな悩みを持った方もいるかと思います。私がこういう場合に思うのは自己中なことをそれほどまでに悩む必要があるのだろうかということです。世のため人のために生きることは表面上自分を捧げているように見えます。しかし、こういった行動をする際本当に自分のことを排しているのでしょうか。相手からの感謝が嬉しい、苦しんでいる人が助かるのにほっとする……そういった感情はあくまで自己の中に生まれる主観的なものでしかないと私は思います。もちろん施しを受けた相手は本当に喜ぶのでしょうが、そういう人を助けるときには相手がつらそうで自分が心苦しい、悲しいから助けたいということになるからなのです。

 そのために自己が自己のことを考えるのは当然であり、他人のために行動しなければと縛られることはないと思います。だからといって危害を加えるのはまた話が違って、理性の問題になってきます。

 

 結論として自己中心的であるということは当然であり、それに悩むことは全く意味のないことだと私は考えているよ。という話でした。

 

それではまた。