老け顔とネットの海

オタクのありのままを貴方に

決定論者と人間シミュレーター

 こんばんは。近頃は豪雨にコロナと災害が続いています。私にできることといえば手を洗うことです。雨に関してはどうしようもありません。情報を手に入れ避難するくらいです。

 

 さて今回は随分小説っぽいタイトルとなっていますが私の思い付きを書いていこうと思います。まず、私が決定論について肯定的であるということから始まります。ここで述べる決定論は宗教的な神によって人生が決められているといったようなことではなくラプラスの悪魔のような発想になっています。私が生まれてから辿る道筋は遺伝子、環境によって決まるということです。よく勉強ができることに対してこのような言説を耳にしますがそれも一種なのでしょう。親の育った環境、そしてそこから生じる親の育児法に影響を与えその影響を与えた親の親にも土壌があって。友人の場合もそうです。すべてがひとつなぎになって私を形成しているという話です。そしてその源流となるのが「神」です(スピノザ的な)。こういうことを考えていると多くのSFでネタになっているであろう人間の生き方のシミュレーションについて考えてしましました。多くは最初から設定されている生き方にどこか疑問を持ち人間としての自由を取り戻すというような話になっているかと思います(ほかにもあると思いますが勉強不足です)。人と触れ合う数が多くなればなるほど計算しなければならない因子が増えそうなので、AIに人を育てさせて接触を防いだら性格の操作ができるのかと思ってみました。どこかのグループが動物実験してそうですよね。倫理の壁に守られている我々は人としてのギリギリでとどまっていられそうですがこの先のことは分かりません。

 

量子物理学的な確率論を適用したら私の決定論的言説は吹き飛びそうですが、量子力学は想像しづらいので私はSFを楽しむことにしました。私が生きているうちに神に届くことはないでしょうし、自分が満足すればよしです。

 

それではまた