老け顔とネットの海

オタクのありのままを貴方に

所詮の正義

 こんばんは。お盆休みにも終わりが見え、この世に未練のない方がキュウリに乗って帰っていっているようです。もうすぐなすびの群れも見れるでしょう。

 

 今回もまた思い付きの話をつらつらと述べていこうと思います。私は何度か自己の幸福の在り方について述べています。私の中での幸福については変わっていないのですがふとこの考え方について思ったことがありました。私は家族関係、能力、人間関係にそれなりに恵まれているためにこのような幸福感覚を得たというのは間違っていませんし、他者の幸福も各々の環境等に左右されるでしょう。自分が高潔だと思っている人間ほど通俗的なものを馬鹿にし、哲学者の言葉を引用して正義を語っています。これが高等であるなどという概念自体が人間に仇をなしているのではないかと考えていました。そういった点ではショーペンハウアーの幸福論には賛成できますが、彼の優劣をつける所はよく思いません。

 困窮の時代を過ごした過去があり、現在ある程度成功を収めた人間に私のような苦労知らずの幸福論が刺さる訳がありません。また、いまだ成功を収めていない人間にも刺さらないでしょう。これらの事実が理解できているのにも関わらず私の中では中途半端な正義心が蠢いています。自分の幸福論では必要ないはずの他人の不幸を聞くたびに心を痛め、恵まれている自分が不幸になることを望みます。これは正義ではなく所詮、同情心であることはもちろんであり、他人の苦しみが自己の心を揺さぶるのでなくしたいという利己の塊でもあります。何か今行動を起こすという気概がないのは自分の平静へのこだわりと、すべての不幸がなくせないという諦めからきており、どの道すっきりする問題ではありません。私が現在取り組んでいる科学も、将来取り組みたい文学も自己の満足には役に立ちますが真の心の平静を助ける不幸の消滅には至りません。そういうことを最近考えて、何が最適なのかをぼんやりと思っています。

 

以上、ありがとうございました。