老け顔とネットの海

オタクのありのままを貴方に

察しの文化

 こんばんは。桜がピークを迎えており、春を感じるにはこれ以上ない時期ですね。そんな折に私はただ書物をつまみながら穏やかに過ごしております。

 

 さて、今回は「察する」ということについて思うところを書いていきたいと思います。

 

 日本の良き文化とされている「察し」。相手が何を求めているかを考え、先んじて行動する。美しいものだと思います。しかしこの「察し」の文化に対して疑問に思うことがあります。それは受け手の考え方です。「察して何かを行動してほしい」「察しが悪い人はモテない」そんなような考えを耳にします。これは如何なものでしょうか。察しというのは求めるものではなくて相手を考ええるが故に出るのが美しいのだと思います。こういう仕草を出したんだからこうしてくれないかなあ、というのは図々しく私からしたら醜いです。

 「お客様は神様」という接客業における言葉がありますが、これは皆さんご存知のように客が神のように尊大な態度をとってもいいという訳でなく、あくまで店側が尽くして心地よくサービスを受けてもらうという趣旨です。察しを待つのはこれと似たようなことだと思います。

 

 自分が察しやってるから相手もしてほしいというのも美しくないです。見返りを求める打算的な察しは表面的には成功しますが関係を深めていくにつれて綻びが生じます。自分のためにやっている行動をあたかも人のためと見せかけ続けるのはなかなかに困難だからです。また自分ばかりこうしているのに……と不満が募りストレスを抱えることになるでしょう。

 

 私は世界に対する見識がないので察しといのがどの程度されているのかわかりません。ただ見返りの求めない行動は人間だけでなく他の動物にも見られるそうです。利己的行動をするのが悪ではないですし当然だと思いますが、人間の心の片隅には他人に対する優しさがあるんじゃないでしょうか。それをすこし行動に移せばお互い気持ちよくなれると思います。

 私が偉そうに言えたものではないんですがね。

 

 以上、少なとも迷惑だけはかけないように頑張りましょう。